本に収録した神さまという概念についての話

✦現在頒布中の二次創作同人誌に収録している前書きの文章です

✦ここだけならば二次創作には関係ないなと思い公開してます

 

ふと、"神は貴方を見てます"だとか"神は貴方の心に"だとか。そういうフレーズは宗教やそういう場にいたりアニメや漫画にいれば必ずといえるくらいには耳にしたり眼にしたりするのだろうと思う。
だがその言葉に私は何かデジャブを感じていた。
果たして神や仏というのは"概念"というよりは"本当に心にある何かではないのか"と。
神が見てるからその行いをしてはならない、その行いは素晴らしい主はお喜びになる。その心に住む神や仏というのはもしかして神が与えた理性という人間特有の意識ではないのか。

人間は動物の中で唯一理性を与えられ、その理性を最大に生かしこの文明を発展させた数少ない生き物である。理性があるから伝わらない意思を根気強く伝える術を作り出し音から音楽を、絵から絵画に文字を、叫び声や鳴き声を言葉へと変化させ今のこの世を発展させてきたと思う。それは素晴らしく誇れると思う。

ただ、人の本質である奥底にある野生である感情というのはどうしても出てきてしまう。それはもう理性を働かせ必死に守るしかないのであると考えてる。それは正直限界があると思うのです。
そこで出てくるのはそう、"神"や"仏"そういう存在だと思う。

人間がこれほどまでにあやふやで不確定で誰も見たことのないその存在を信じる。それはいわば自分の中にある"理性"を具現化し信じていくほかならないのではないのか。
目の前にある激情をどうにもできないくらい爆発させたい、できるなら辺り散らかし迷惑かけてもいいから全てを壊してもいいから知ってほしい!それではただの暴力的で野性的な言うなれば"理性がない粗暴な行為"でしかない。
だが、"神"や"仏"、その他の宗教にもいるような神たちがどう思うだろうか。きっとそれはしては駄目だと諭すのだろう。もう少し冷静になって少し周りを見渡し、自分はどういうことで苛立ったのか。そしてそれはどうすればもっともよい解決になるから"神と対話して考えよう"となると思う。
神の部分を"理性"に変えてみれば"自分で落ち着いてしっかり考えよう"ということになるのだ。
神父様や牧師様、仏教であれば住職やその他そういう職にいた人々はその昔は悩みの相談も受けただろうしそして導いてきたと思う。まさしく現代でいうならカウンセラーであると思うのです。

不明瞭であやふやな存在の神。それは私たち人間の心に確かに寄り添い必ず見ていてくれる。"理性"という生々しい言葉では理解が出来ずとも"神"や"仏"という概念を使うことで円滑でスムーズに私たちは知らず知らずのうちに"理性"を得ている。ただそれは私個人の言葉でしかないので全ての人間がそれではないと思うし私は無宗教だからこんな文章を打てるのだと自覚もしている。
素人の徒然な文章でしかない、ただ私は"理性"という言葉はきっと沢山の違う概念へと昇華しそれぞれの世界に溶け込んでるのではないんじゃないかと個人思う。
せっかく人間に生まれた、理性という最大の特徴を手にしている。
これは誇れるとは思うけど極々自然であり当たり前。当たり前だからこそ大切にすべき一つの特徴ではないかと思うのです。

 

 

✦これを二次創作でよく載せようと思ったよな…